【歴史クイズ(幕末編)】1864年の今日、9月2日に第一次長州征伐を命じた将軍の名は?

【歴史クイズ】


前回の答え:中岡 慎太郎(なかおか しんたろう)


中岡 慎太郎は、土佐国安芸郡北川郷柏木村(現・高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋である中岡小傳次と後妻ウシの長男として生まれます。

安政元年(1854年)、間崎哲馬に従い経史を学び、翌年には武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術を学びます。

安政4年(1857年)、野友村庄屋利岡彦次郎の長女である兼(かね)15歳と結婚します。

文久元年(1861年)には、武市が結成した土佐勤皇党に加盟します。

文久3年(1863年)、京都での八月十八日の政変後に土佐藩内でも尊王攘夷活動に対する大弾圧が始まると、速やかに脱藩し、同年9月、長州藩に亡命します。

元治元年(1864年)、石川誠之助を名乗り上洛します。

薩摩藩の島津久光暗殺を画策したが果たせず、また脱藩志士たちを率いて禁門の変、下関戦争を長州側で戦い、負傷します。

長州藩への冤罪、雄藩同士の有害無益な対立・志士たちへの弾圧を目の当たりにして、活動方針を単なる尊皇攘夷論から雄藩連合による武力倒幕論に発展させます。

そして、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩藩の西郷吉之助(隆盛)との会合による薩長同盟締結を志士たちの第一の悲願として活動します。

三条実美とも連絡を取りつつ脱藩志士たちのまとめ役として、薩摩と長州の志士たちの間を飛び回り、亀山社中(後の海援隊)を結成した坂本龍馬や三条の随臣・土方楠左衛門(土方久元)をも説き伏せて巻き込んで行き、慶応2年1月21日(1866年3月2日)(あるいは22日(3日))、京都二本松薩摩藩邸において薩長の和解および薩長同盟を結実させます。

また、薩土同盟についても同様に奔走し、まず、5月21日(6月23日)、土佐の乾退助(板垣退助)と薩摩の小松清廉(小松帯刀)・西郷吉之助との間で武力倒幕のための薩土密約の締結に成功します。

更に土佐藩そのものを本格的に取り込むための運動を展開し、6月22日(7月23日)、京都三本木料亭「吉田屋」において、薩摩の小松帯刀・大久保一蔵(大久保利通)・西郷吉之助、土佐の寺村道成・後藤象二郎・福岡藤次(福岡孝弟)・石川誠之助(中岡)・才谷梅太郎(坂本龍馬)との間で、倒幕・王政復古実現のための薩土盟約が締結されます。

上記の同盟は、実質的な威力には乏しかったが、これらの慎太郎・龍馬の労苦の結晶である軍事同盟締結は、土佐藩内においては旧態依然とした兵制を改革させる決定的契機となり、土佐を戊辰戦争において薩摩・長州・肥前と並ぶ倒幕の主要勢力にします。

6月27日、かねてから長州で見聞していた奇兵隊を参考に陸援隊を組織し、自ら隊長となり、白川土佐藩邸を陸援隊の本拠地と定めます。

11月15日(12月10日)、京都四条の近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され瀕死(近江屋事件)となりますが、龍馬は即死ないし翌日未明に息絶えますが、慎太郎は二日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城などに詳細に語ったと言われています。

しかし、11月17日に死去します。

享年、30歳でした。





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答えは次回(^-^;



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