【歴史クイズ(幕末編)】1830年の今日、9月26日に薩摩で生まれた、維新の三傑と言われる人物の名は?

【歴史クイズ】


前回の答え: 豊臣 鶴松(とよとみ つるまつ)


鶴松は、天正17年(1589年)5月27日、豊臣秀吉の嫡男として山城淀城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)で誕生します。

このとき秀吉は当時としては高齢の53歳で、待望の我が子の出生を喜び、長寿を祈って「棄」(すて)と名付けます。

これは棄て児はよく育つという民間の信仰に従ったものであると言われています。

後に「鶴松」と改名したと言いますが、時期や経緯は厳密には不明で、鶴松の名で記した古文書は実名敬避の習慣もあって極めて少なく、当時は棄君や単に若君などと呼ばれていました。

生後4か月の9月13日、早くも秀吉は鶴松を後継者としようと期待し、淀殿と共に大坂城に迎え入れます。

天正18年(1590年)の年賀を大坂城で迎えた鶴松は、2月13日に再び京の都に戻り、聚楽第に入りますが、秀吉が小田原征伐に出征していた間は大坂城に戻り、その後は淀城にいましたが、7月27日頃から病気になりますが、しばらくして回復します。

秀吉は9月20日に遠征より凱旋して聚楽第に戻り、11月7日、朝鮮使節(黄允吉、金誠一ら)との謁見に際して、秀吉は中座して鶴松を伴って現れ、鶴松が使者の前で小便を漏らして秀吉を笑わせ、使節を憤慨させるという出来事がありました。

天正19年(1591年)閏1月3日に鶴松は、病を発しますが、しばらくして鶴松は回復します。

しかし8月2日、また鶴松は病に罹り、秀吉本人も東福寺(東山区)で祈っていましたが、その甲斐なく3日後の8月5日に、鶴松は淀城(伏見区)で数え3つで死去します。





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答えは次回(^-^;



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