【歴史クイズ(戦国編)】1570年の今日、10月27日に没した金ヶ崎合戦にて越前金ヶ崎城を開城した武将の名は? 

【覚悟】

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【歴史クイズ】


前回の答え: 武田 信吉(たけだ のぶよし)


武田信吉は、天正11年(1583年)9月3日、徳川家康の五男として浜松で生まれます。

幼名は、福松丸。

母は、甲斐武田氏家臣である秋山虎泰の娘で、於都摩(下山殿・妙真院)です。

穴山信嘉(信邦、信君の弟)の妻であったとの説もあります。

一説には家康が側室に武田の血族を求めていたため、表向きは武田信玄の末娘として、信君の養女となり、家康に輿入れしたとも言われています。

福松丸の後見人には見性院がなり、武田氏の名跡を継承させ、甲斐河内領のほか、江尻領・駿河山西・河東須津を支配させ、元服して武田七郎信吉と名乗らせます。

ただし、家康が駿府城に移ったことで駿河国が徳川氏の本国となり、その関係で信吉の武田氏継承時に江尻領などは没収されたとする説もあります。

天正18年(1590年)2月から7月の小田原征伐後、同年には家康の関東移封に従って下総国小金城3万石へ移り、信吉は松平姓に復し、松平信吉と改名します。

慶長7年(1602年)、先の関ヶ原合戦で西軍に属した疑いをもたれた佐竹氏に替わり、その領地であった常陸国水戸25万石に封ぜられ、旧穴山家臣を中心とする武田遺臣を付けられて武田氏を再興します。

慶長8年(1603年)9月11日、生来病弱であったらしく、わずか21歳で死去します。

死因は湿瘡(痒みなどが激しく長く続くと死にいたる病)と言われ、子女もいなかったので、これにより武田氏は再び断絶します。


正しくは松平信吉ですが、同名の松平信吉(藤井松平家)がいるため、区別するため武田信吉と呼ばれています。





今日の問題: 1570年の今日、10月27日に没した金ヶ崎合戦にて越前金ヶ崎城を開城した武将の名は? ↓

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答えは次回(^-^;



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